きっと

生きてる証

近況

人は無職であることに喜びを感じ、それを生き様に出来る―――(ロウド=ウイヤ 856-870)

 なんて言葉はありません。偽りです。そもそもそんな人は居ません。居たとしてもこんなこと言わないと思います。

無職を一ヶ月ほどやっていて、様々なことが起こるかと思ったら対してそんなことはなくむしろ自暴自棄気味に生きていました。何をして何が起こってもまあいっか、何かあったらその時考えよう。失うものなんてないしどうとでもなれ。どうなっても知ったことじゃねえ。と若干諦めの混じった思想で日々を過ごしていました。そんな生活をしていると以外と悪くはなく、むしろ働いていた頃より自分好みな生き方をしていました。

ボランティア活動、なんてものが世の中には存在していますが何も知らず傍から見ると大抵怪しい集団の活動に見えることが多く、僕は実際そう見ていました。平日の昼間に街を歩いていたら突然、怪しい若い二人の男女に声を掛けられたらそう思います。教会で皆で料理を作るボランティア活動のような物をしているらしいです。孤食が問題となる現代、大学生や子どもたちと一緒にごはんを作りながら食べる、と。女性の方は中国人のようで、怪しさ倍増ですね。

大した興味があったわけじゃないのですが、そこにはどんな人間が居るんだろうか、そもそもこの話は本当なのだろうかと興味だけで行くことにしてみました。なんかあったらその時考えればいいのです。

大体怪しい集団で、ネズミ講の集会所みたいになってるのかな~とかなり失礼なことを思っていたのですが、実際行ってみるとは非常に真っ当な会で、むしろ怪しいのは僕でした。週に一度のペースで行われるこの会はとりあえず飽きるまでは参加していても悪くないなと。食事も出来ますし。

 これはとある週の教会に行く前のツイートです。懺悔をする前に怪しさを取り除く努力をした方がいいですね。

 そんなこんなで生活をしていたのですが、少しばかり暇が多すぎまして、実際無職になって何かしらの創作活動をしようとかあれこれをしたい思っても一切のやる気がおきませんでした。だるい、というのはこういうことを言うのだと思います。

6月の全てを無にして、得たものといえば……ない!って状態だったのですがだからと言って働く気は一切ありませんでした。いや、嫌でしょ労働。その人格で労働は無理でしょ。

幸い今は実家ぐらしなので、生きていて対してお金がかからないので暫くは働かなくても生きていけるのですが、やはり現代社会はそう簡単にのうのうと時間を貪らさせてはくれず、ちょっとした縁で再び労働をすることになりました。ですが無職の時に得た思考が個人的に好きで、どうとでもなれといった感じでやることにしました。具体的にどうどうとでもなれと思ったかというと……

 何も知らずに行きました。本当です。今でも分かってません。むしろ今のほうが多くのことが分かってません。福利厚生もわかりません。

これは一度仕事を辞めると分かることなのですが、仕事なんて意外とどうとでも出来て、ヘマしたり嫌になったら辞めてふらっとすればいいやと思うと案外気が楽になります。

僕は基本的に働きたくなく、毎日楽しく生きれればそれで満足なのですが、それでもある程度のお金は必要です。特に僕には特段、コミュニティがあるわけでもなく、何らかの技術や才能も会得していないので突然仕事を辞めたところでなんとかなる収入源もありません。そういった物を会得するために時間を使うべきなのでしょうけど、とりあえず今は再び労働に身を置いてみました。すぐ辞めると思います。というがすぐ辞めます。

そんな状態で今月の初めから再び働いています。嫌ですね。

 こんな異常なツイートをするぐらい嫌です。今でも無職を名乗っています。

そんな状態で生きていけた今月。来月からも生きていけるのでしょうか。そして最近わかったことですが、僕の仕事には出張と呼ばれるものがあるらしく、それは突然にして僕の予定に突っ込まれるみたいです。何をするんでしょうね。そもそもどこに行くのでしょうか、僕は。とりあえず何も知らないけど、まあどうにかなるでしょう。どうにもならなかったらその時はその時です。