カツ丼がわからない
世の中にはカツ丼という料理がある。いや、本当は無い。無いけどあるのだ。これから、カツ丼の非実在性について綴っていこうと思う。
非実在カツ丼:1
カツ丼という料理がある。wikipediaによると、カツ丼とはこうだ
日本国内において現在最も一般的なカツ丼のスタイルは、「豚カツとタマネギを醤油味の割下で煮込み、卵とじにして、米飯にのせた料理」である。単に「カツ丼」と呼んだ場合は、一部地域(特に福井県、山梨県、群馬県、岡山県、沖縄県)を除いてこの形態を基本とする。
福井、山梨、群馬、岡山、沖縄に何があったのかは知らないが、大体の店でカツ丼を頼んだらこういったものが出てくるだろう。
だが考えてほしい。そもそも豚カツを煮込んで卵とじにする。それってさ……揚げた意味あるか!?!?!?!?!?!?!?
豚を揚げるなんてそんなに簡単な行為ではない。卵、パン粉、小麦粉をまぶして高温に保たれた一定量以上ある油を用意し、そこに投入し跳ねてきた油と戦いながらカリッとパリッとサクッと揚げられたカツ。それをわざわざ煮ると言うのだ。煮込んだらカツはどうなる?そうだ。揚げられた事によって得た食感や味を失う。せっかく揚げた努力を無駄にするな!!!!!!!!バカ!!!!!!!!
なに、何がしたいわけ?せっかく揚げたじゃん。なんで煮込んじゃうの?なんで?何を求めてカツを煮込むわけ?しかも今気づいたけど卵を使って揚げたものを卵をつかってとじるわけ?ダブル卵アタックじゃん。ツインエッグシステムじゃん。
とにかく僕は、この”出来上がった料理に更に加水する”という行為が許せないのだ。必要な加水ならわかる。だがこれは明らかに不必要だろう。
例えば雑炊。よく鍋の締めで食べられるだろう。これも僕の中では”わからない”なのだ。
せっかく炊きあがった、アルファ化された米をなぜわざわざ水分の中に入れる?そしてなぜ加熱する?何がしたい?もうその米は完成されているんだぞ?もう炊き終わった米だぞ?アルファ化した先にはベータ化しかないぞ?
例えばかき揚げそば。よくある蕎麦の盛り付けだ。
そのかき揚げさ、頑張って揚げたよね?サクサク感が蕎麦との食感のアクセントになっていいじゃん。なんでその衣が水分を吸ったぐずぐずの状態で出すの?いや別でいいじゃん。わかるよ、その天つゆとのマリアージュ。わかるわかる。でもさ、食感大事じゃん。ね。蕎麦だって時間経てば伸びて美味しくなくなるでしょ。じゃあかき揚げも一緒じゃん。一緒に大切にしてあげようよ。
話が大分逸れたが、そういうことなのだ。ちなみにお茶漬けや卵かけご飯は別だし(加水してすぐ食べるため)、シリアルにかけた牛乳はふやける前に速攻で食べきるし天津飯は何がしたいのかわからない。
だがこれだけでは「いや、お前の食の好みじゃん。好き嫌いだろそれ。諦めろよ」と言われてしまうかもしれない。なので、カツ丼の非実在性をより強固にするためさらなる証言をする。
非実在カツ丼:2
大体よく考えてほしい。カツ丼。カツ丼と聞いたら何を想像する?「豚カツとタマネギを醤油味の割下で煮込み、卵とじにして、米飯にのせた料理」か?そもそもそれがおかしいのだ。
唐揚げ丼、と聞いたら何を想像する?そうだ。丼に炊かれた米が盛られていて、そこに唐揚げがまあそれなりに、米が隠れるぐらいには乗ってたら嬉しいな、って想像するだろう。もしかしたら気を効かせてレタスがあるかも、マヨネーズとかかかってると嬉しいね。
海鮮丼、と聞いたら何を想像する?そうだ。丼に炊かれた米が盛られていて、そこに海鮮、まあマグロとかイカとかサーモンとか、もしかしたらちょっと甘めのだし巻きなんかも乗っちゃってさ、米が見えなくて嬉しくてさ、一緒にお味噌汁とかあるじゃん。
じゃあカツ丼は?そうだろう。丼に炊かれた米が乗っていて、揚げられたカツが、そのまま、乗ってなきゃ、おかしいだろうが!!!!!!!!!!!!!
普通、〇〇丼って言ったらその〇〇がそのまま乗っているのを想像するだろう。それで違ったら悲しくならないか?僕は実際江ノ島でアワビ丼?みたいなのを注文してワクワクして待ってたら卵とじされたアワビっぽいのがうっすらいて悲しくなったぞ。ショーケースに食品サンプルでそういう状態で有るのも見たさ。見た上で「あ、これはなんか別のメニューの間違いなんだな」と思って注文した。そしたらこの仕打ちさ。オンオンと泣いたよ。
だから、カツ丼はおかしいのだ。正確な名前を名乗るべきだ。「カツ卵とじ丼」とかにしたほうがいい。そもそも「ソースカツ丼」って名前が「いや、僕カツ丼とかじゃないんで……」みたいな謙虚感を感じさせる。もっと堂々としろ。お前もカツ丼だ。いや、お前こそ本物のカツ丼だ。
これで、カツ丼の非実在性を理解していただけたと思う。これはただの僕の好みの問題ではない。調理法、名乗り方、”丼”というもののブランド価値。これらが巧みに操られ、現在のカツ丼……いや、カツ卵とじ丼が生まれてしまったのだ。
せっかく揚げられた意味を失われ、本来得られたはずの食感を殺され、そして他の丼に対して恥を晒し続けるその様はフェイクカツ丼と言える。
だから僕はいつまでも言い続けよう。そして、いつまでもカツ丼を注文し続けよう。本物の、本当の、一切のフェイクがない「カツ丼」に出会うために───